温故知新 水墨名画鑑賞3 牧谿 「猿侯図」
今回は大徳寺の牧谿筆「観音猿鶴図」のうちの一幅「猿候図」をみてみましょう。
描かれているのは、親子の猿と一本の木だけです。果てしない宇宙に、たった2匹の猿が生き残ったかのような、静謐な孤独感の漂う不思議な絵です。
2匹の猿から観てゆきましょう。子どもを何かから守るような姿勢、真っすぐにこちらを見つめる親猿、親にしがみつく小猿。この芝居のポーズのような姿勢が印象的で、また猿の顔にははっきりとした表情がなく「何だろう。何をしているんだろう。」と、一気に心をつかまれます。
老木はどうでしょう。画面の奥へと伸びる樹の配置が、最高にきいています。老木は2匹の猿がうまく乗るように木の配置を考える中、こういう形に落ち着いたんだと思いますが、木立を上ではなく画面の奥へ向わせたことで、猿の周りに広がる無限の空間を感じさせます。枝も四方八方に伸ばし、木を一本配するだけでみごとに空間を満たしています。
彫刻のように立体的に展開するこの木立の表現は,この絵の最大の魅力です。
私は以前彫刻をしていたのでよく分かるのですが、作者の筆使いは、あたかも立体的な題材がすでに画面上に在り、それを触るように描いています。これはまさに彫刻家のモデリング(粘土で形を作ること)です。
水墨の使い方を見てゆくと、墨色を猿を濃墨、木立を淡墨でシンプルに描き分けています。何げなく描くと老木の左下の葉をもっと濃い墨で描きたくなるところですが、ここにアクセントを付けず枝と同じ淡墨で描いておくことで、全体としての絵の静けさを保っています。
とはゆえ、猿以外のこれだけ広い画面を淡墨だけで描いてゆくと、すこし絵がぼけてしまいます。そこを老木に絡み付いた蔦の葉を濃墨で散らすことで、淡墨にメリハリを付けています。これは水墨画ではよく使う手で、梅の枝に芽のような黒い点を打つのと同じ役割です。また垂れ下がった蔦は、イメージとしてもひと気のない荒涼とした雰囲気を演出するのにも役立っています。
質感の描き分けも見所です。猿は毛描きで線に密度を持たせ残った白場も顔以外淡墨で染めています。。一方老木は大きな筆の側筆でスピード感のある渇筆で描き、白場はほぼ残したままです。
最後に画面の上下から背景に入れたぼかしは、木立の枝等の配置とともに、ポイントの猿周辺に丸く余白が残るように考え施されています。これにより猿に視線を集め、この2匹の猿だけでも絵がもつように広い画面を絞り込んでいます。
素朴な柿の絵で有名な牧谿ですが、この絵では、彼の筆力、造形力を存分に見せてくれています。
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